中平卓馬(なかひら・たくま)略歴

1938年生まれ。東京外国語大学スペイン科卒業後、総合雑誌『現代の眼』編集者を経て、60年代半ばから写真を撮りはじめ、同時期よりさまざまな雑誌に写真や映画に関する執筆を開始する。68〜70年には多木浩二、高梨豊、岡田隆彦、森山大道とともに「思想のための挑発的資料」と銘打った写真同人誌『プロヴォーク』を刊行し、従来の美学や常識を否定した「ブレ・ボケ」を特徴とする作品が同時代の写真界に大きな衝撃を与えた。70年に写真集『来たるべき言葉のために』を上梓した後、73年には映像論集『なぜ、植物図鑑か』で、それまでの自作を批判的に検証。77年に篠山紀信との共著『決闘写真論』を刊行直後、病に倒れて生死の境をさまよい、記憶の大半を失うが、以後も写真家としての活動を継続し、写真集『新たなる凝視』(83年)、『アデュー・ア・エックス』(89年)、『hysteric six NAKAHIRA Takuma』(02年)などを出版。2003年には横浜美術館で初期から2003年にいたる800点におよぶ作品群による「中平卓馬展 原点復帰−横浜」を開催し、その図録を兼ねた写真集『原点復帰−横浜』刊行。ホンマタカシ、小原真史による中平を題材にしたドキュメンタリー・フィルムが制作されるなど、その活動は改めて大きな注目を集めている。2004年、2007年にはShugoArts(東京)で新作による個展開催、また内外のグループ展にも参加、現在も精力的に撮影行為を続けている。